死ぬために生きまくる、「健全な死」のリスクを高めよう

 もう最近は何も楽しいことが無いし、生きていても今後楽しいことが起こりそうな気配も無いし、むしろ家族の介護や死、うれしくない相続(税金払えない)、自身の老化による体調不良や病気など、いくつものハードなライフイベントが発生することは確定的で、それなら出来るだけ早いうちに死んでしまったほうがいいよね、という考えが頭から離れず、行動に移すべく自殺の方法などを調べてみたところ、飛び降り、飛び込み、服毒死、縊死、溺死、一酸化炭素中毒死、出血死、オーバードーズ、餓死、凍死、いずれの方法にしてもなかなかに苦しそうで、しかも最愛の妻や母親が悲しむさまが思い浮かぶのもつらく、また考えようによって自殺とは自分を殺す、自分の肉体を自分の精神が殺害する、つまり殺人であるので、まあよくないことだよね、とも思い至り、じゃあ翻って、死期を“健全な方法”で早めるにはどうすればよいか、と考えたところ、死のリスクが高まるような行動をガンガンやりまくればよいのである、ということに気づいた次第。家という安全な場所でうんうん悩みながらインターネットを見ているだけでは「健全な死のリスク」は高まらない。ウイルスもいないし。つまり、外にガンガン出て、いろいろリスクを冒した行動をしまくる。これは、わざとコロナウイルスに感染しに行く、みたいなことではなく、もっと広い意味でのリスク、投資をするとか、起業するとか、そんな大それたことから、得体のしれない異業種に転職する、突然山の中で自給自足しはじめる、YouTuberになる、政治・社会活動に参加する、宗教に入信する、といったちょっと頑張れば出来そうなことであったり、なんならもっと簡単な、朝起きたら必ず外に出て誰かに話しかけに行く、毎日足腰が経たなくなるまでクタクタに運動する、みたいなささいなことまで、なんでもよい。とにかく一日で使いきれるだけの命を使い倒す。このことで、死期が健全に早まるのではないか。こう思ったわけなんですね。
 このアイデアは、逆説的に自分の死期を伸ばす、つまりこんなに肉体や精神を活性化させてしまったら逆に健康になるんじゃないか、という懸念もないではないが、まあもともとの発端は「生きていても楽しいことがなく、今後さらにツライことだらけの人生になりそうだから早く死にたい」という願望なので、生きていて楽しくなるのであれば、本末転倒も歓迎しましょう。

 ということで、今日も一刻も早く死ぬために、頑張っていきましょう。

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