タイトルや推薦文の面々から見ても、明らかにガチ左翼本であるにもかかわらず、大月書店などではなく集英社から出ていて、なおかつベストセラーになっている、ということで興味を持った一冊。
私がこの本に期待したのは、以下の2点です。
1つは、今までの人生であんまり良い思いをしたことが無いやや左寄りのボンクラ労働者である私が、『資本論』の持つ「資本主義への揶揄」的描写を読んでちょっとスカッとしたいなぁ、というポップな期待。
そしてもう1つは、脱成長と気候変動問題がどう理論づけられているのか? 修正資本主義以外の資本主義のオルタナティブは存在するのだろうか? という私の問題意識に結び付く割とシリアスな期待です。
結果的に、前者の意味では元が取れましたが、後者の意味においては不満感のほうが強く、全部読んでも(全部読むほどに)結局「修正資本主義」が妥当ではないか、という結論にしかなりませんでした。
全体としては、やや残念な書籍でした。
資本主義の無限成長理論は投資詐欺みたいだ、という私の直観
株などの投資やる人って、「経済は無限に成長していくから株やらないと損」って言うでしょう。
そして同じような調子で、「会社は無限に成長していくから我々も無限に成長して社会に貢献すべきである」と言ってきます。
ほんとうすか? それ。
日本って今、それがウソであるっていう現実にめちゃくちゃぶつかってる国じゃないんですか。
ものすごくデカい意味で、投資詐欺みたいなものなんじゃないの?
こんなふうに思っていたので、この書籍の前半に書かれている「資本主義は搾取することにより価値増殖させる⇒自国で搾取できなくなると、外部(往々にして人件費の安い貧しい国)に搾取対象を求める⇒搾取対象は人だけではなく自然環境にも及ぶ⇒搾取対象は有限なので、搾取できるものが無くなると資本主義は行き詰る」といったような概要は、割とすんなり入ってきて、俺の感じている違和感はこれだわ、と合点も行きました。日本は周辺のアジア各国の経済成長により搾取対象が無くなってきているんですね(自国の現役世代の賃金を絞るくらいしかできなくなってる)。
こうやって立ち止まると死んでしまうため、あらゆるものを消費して膨張し続けていく宿命(地球の資源がダメになったら次は宇宙ですか?)にあるのが資本主義ですが、共産主義が理想論だと言われるのと同じくらいに、現代の資本主義の無限成長論も、これ以上やり続けるのはもはやディストピアなSF小説に足を踏み入れている状況で、その展望が現実的であるとは見做せなくなってきていると思うのです。
カネが増えれば他の何を破壊しようが正義である、という価値観
また、資本主義は価値増殖が至上命題なので、カネが儲かりさえすればなんでも良い(言い換えると、市場でニーズがあることや、効率が良いことが大正義)、という価値観が存在します。
労働者が楽しく働けなくなったり、自然環境が破壊されて暮らしづらくなったりしても、そのことで利益が上がるのであれば問題ない、ということです。
たとえば会社が効率重視でやる、人件費の削減、自動化などの工数削減、属人性の排除と分業制などなど……これらが同時に行われることで、一人一人の労働者の負荷が高まったり、スキルや経験がものを言う仕事が誰にもできる仕事へと分解され、単なる使い捨てのロボットにされてしまったりしますが、利益が上がるのであれば問題はありません。労働という人生の大半を占める時間が、誇りも楽しみも得られない屈辱の時間に変わってしまう(ので、大半の人は心を捨てて半分鬱になりながら、「会社員だから仕方がない」と自己暗示をかけて暮らしている)のも、当然問題ありません。なんならそれは甘えであり、怠惰であると断罪すべきです。
そもそもそれがつらいなら、労働で得たカネで消費活動をすればいいじゃない。スカッとするよ。ということで、労働者は労働力を取り戻すためにカネを使いストレス発散をする。そして、それは誰かの儲けになる。労働者にストレスをかければかけるほど、労働者は消費で発散せざるを得なくなり、誰かがより儲かっていく。ストレスと分け前を与え、分け前を使用することでストレスが除去される。
イヤな見方をすると、こういう循環のなかで、我々は生きている、ということになります。
資本主義を「揶揄」するマルクス本
マルクス系の理論によって思い描くことが出来るこういった「資本主義批判の視点」ですが、しかし、だから資本主義がダメなんだ、とまではならないと思っています。
資本主義にも共産主義にも良い面と悪い面があり、悪い面がある=全部ダメ、ということにはならないからです。
キラキラビジネス系はよく言い換えしますよね。
資本主義にうまくフィットして楽しめる人たちは、社会貢献とか、人類の発展みたいな大きな言葉から、成長とか、業績アップとか、身近に感じる言葉に至るまで、いろいろな風に資本主義をキラキラしたものに美化するのに一生懸命です。
マルクスはその逆をやっている感じというか。「資本主義の負の側面」をつまびらかにしつつ、ちょっと意地悪に「搾取」という旧時代の奴隷を思わせるニュアンスで資本主義を語ります。
こういった資本主義を礼賛する者たちへの警句としてのマルクスの視点を、私は「資本主義への揶揄」として信頼しています。
臭いものにフタをしてキラキラしている連中の前に「お前らが美味いもんを食って意識せず漏らした大便がその辺にまき散らされていて、迷惑している人がいるぞ」と、性格悪く教えてやりたくなるんです。
マルクス本や資本論は、そんな欲望を満たしてくれるエンタメ文章なんですね。俗悪な欲望をかなえている感じが、非常にポップです。大好きです。
しかし、私はマルクス本や資本論が、それ以上の価値を持つのは、なかなか難しいと思っています。
その対比として主張される「共産主義」の理論が、そもそも資本主義以上に危ういからです。
資本主義のオルタナティブとなる何かが再び時代に立ち上がる日が来るのであれば、共産主義であれ何であれ、私はそれに期待したいのですが、残念ながら本書を読んでも、やはりその期待は叶いませんでした。
完璧なはずの「マルクスの理論」が、なぜ歴史上どこでも実行されていないのかの理由を、共産主義者は誰も教えてくれない
共産主義(この本ではコミュニズム、と書かれることが多い)にまつわる議論で、ネトウヨや資本主義(というか市場主義)万能論者への反論として、日本共産党の議員やそのフォロワーたちがよく言うのが、「ソ連や中国は国家主導の誤った共産主義を行っているから独裁恐怖政治になっている。マルクスが提唱した共産主義は民衆が主導する平和的で民主的なものだ。マルクスの言うとおりにすれば理想の社会が作られる」というもの。
じゃあなんで、今までいろいろな社会主義国が勃興する中で、誰もその「マルクスの理論そのままの共産主義」が誕生してないんでしょうか。
マルクスの言うとおりにしようとしても、何らかの理由で出来ないのでは?
その何らかの理由、って何なの?
単純に「民衆が自発的に共産主義的な社会体制を構築しようとしない」という現実があるのでは?
そんな疑いがあります。
そもそも、共産主義の「コモン」の考え方って、相当優秀かつ心根の優しい人間だけが集まらないと無理なのでは? と思っちゃうんですよね。
人間という生き物は、「これはみんなのものだよ、仲良く使おうね」ということに我慢が出来ない欲望やエゴイズムが強い者や、「みんなのもの」とか「仲良く」の概念すら理解できないほど知性の低い者など、いろんな個性を持った個体がバラバラ生まれてくるんです。
そういう人たちをどうやって飼いならすのでしょうか。教育による洗脳でしょうか。それとも粛清でしょうか。(日本はこれを同調圧力という民間NPO警察の様な形で行う民族なので、日本共産党がワンチャン日本で理想の共産主義国家が樹立出来ると思っちゃうのもしょうがない気もしますが、その日本ですら共産主義や共産党の支持は雀の涙ほどという悲しい現実)
この辺、どう実行するのかの具体的な方法論を、私は日本共産党の方々にかなり期待して、ウォッチしていた時期があるのですが、結局「中国とソ連はやり方が間違っていた」しか言わないので、がっかりしてしまいました。
結果私は、マルクスの主張する共産主義は、部分部分では現代社会に応用できそうなこともある一方で、本質的には着火もしないし仮に火がついても途中で消えてしまうような「人間の感情面や多様性といった変数を考慮していない欠陥のある理論」であり、「共産主義にとって理想的な新人類を遺伝子操作により開発して現人類と置き換える」といった漫画版ナウシカの様なディストピア的世界観を実現しない限り、中国やソ連の様なやり方でしか実現不可能である、と現時点では結論付けています。
本書も結局、マルクス研究者だけあって資本主義への批判は痛快ですが、その代替案となる「脱成長コミュニズム」なるものは、今語ったような私の共産主義への本質的な疑問が解消されないまま終わってしまったので、大いに不満の残る内容となってしまいました。
全体的に理論が強引で、納得感が薄い
この書籍について、私が評価するところは「資本主義への批判的視点」ただ1つです。
そのほかは、強引な論理展開、一方的な決めつけや、マルクスへの偏愛と独りよがりが多く、納得感は薄かったです。
前半はとにかく、すべての気候変動や環境破壊の原因を「資本主義の搾取」に結び付け過ぎているきらいがあります。気候変動にはもっといろいろな仮説があるはずなのに、全部が資本主義による搾取のせいだ、っていうのはどうなのか。
その論拠も、著者の独自の研究がほとんどなく、○○という海外の学者がこう言ってる、だから間違いはない、という、正直ひろゆきみたいな解説系YouTuberの弁舌になっていて、相関関係や因果関係が曖昧なものも多い印象です。
また「Z世代はみんなグレタ・トゥーンベリを支持している」といったような一方的な決めつけを論拠無く展開する場面もあり、おいおい、それは言い過ぎじゃないの? といちいち脳内ツッコミが入ってしまうのでなかなか素直に理論が飲み込めません。
あまりに強引な部分が目立つので、特に中盤に出てくるマルクスへの心酔ぶりを読んだ後では、「晩年のマルクスの主張を布教するという結論ありきで、恣意的にデータをつまみ食いしてるだけなのでは?」と、穿った見方をせざるを得ないくらい信憑性の怪しい論理展開になっています。
また、「日本は富裕層に含まれる」と書きながら、別の個所では「日本は経済成長しながらも貧困層がいるのは何故だ」と批判するなど、「我々は富裕層? 貧困層? どっちなんだい!?」と混乱させられる場面もしばしば。私は自分のせいではありながらもいい年して節約生活を強いられているため、お前も富裕層なんだからグローバル・サウスと地球環境の為にもっといろいろ我慢しろ! とか言われちゃうと正直反発してしまいます。ちょっと論が雑ですね。
「マルクスが正しい」というのはみんなの共通理解じゃなくて、むしろその逆
そして問題は4章です。
この本を全体通して読んだ印象は、実は「資本主義が気候変動を引き起こしている!」ではありません。
「晩年のマルクスってこんなこと言っていたんだね」です。
それくらい、この章が全体に及ぼしている影響が大きい。
そして、それは悪影響です。
マルクス主義研究者である著者なので、しょうがないのかもしれませんが、どうにも、マルクスの理論は予言であり、マルクスの言うことは正しい、そしてマルクスの真の理解者は私なのだ! と言わんばかりの論調が展開されいます。時には他のマルクス主義者の批判すらはさみながら、マルクスがいかに世間で誤解されており、そしていかにマルクスが凄いのかを鼻息荒く語り続けます。
残念ながら、正直こっちはドン引きです。宗教の教祖様の生きざまをアツく語られているような感じになります。
いや、そもそもマルクスって神様でもなければ伝道師でもなくて、100年以上も前の経済学者ですよね? しかもソ連とか、マルクスの名前を使う人に暴力的な活動家がいるせいで、危険思想的なイメージを持っている人が多い。著者はマルクスがすべて正しいみたいな前提で話を始めてるけど、その前提って右派やノンポリどころか左派でも絶対的共通理解ではないですよね?
まずはここから語ってもらわないと、ぜんぜん納得感が無いんですよね。でも言っていることは「マルクスは生産力至上主義や西欧中心主義と思われているが誤解である。晩年は自然科学研究と共同体研究に勤しみ、脱成長コミュニズムに辿り着いていたのだ。だから我々は脱成長コミュニズムしかないのだ」です。
これはいったい誰に向けて描いている本なのか、この章を読んでちょっとよく分からなくなりました。マルクス主義者に向けて書いたものなのかしら? という感じ。それくらい読者が置いてけぼりになりつつも、あまりにもアツい語り口の為に前半以上に印象に残ってしまう章になっています。
お願いだから、なんでマルクスの言ってることが正しいという前提が当たり前のように存在しているのか、それを説明してください。ほんとに。
他人の論文や著作を読んだだけで研究になるのか? 学者を名乗れるのか? という疑問
全体を通したスカッとしなさ感、理論が分かりづらいわけではないのに、なんかモヤモヤする感じ。
これって何なんだろう、と考えたんですが、共産主義への疑いも根底にあるにせよ、それだけじゃなくて、著者は学者なのに、自身の研究の成果によるデータがほとんど出てこないことが、モヤモヤの原因な気がしました。
先にも書きましたが、解説系YouTuberと同じような、他人の論文や著作、研究データを引っ張ってきて、だから自分の考えは正しいんだ、と主張しているだけだった、という印象がぬぐえないのです。
例えば、同じように割とぶっ飛んだ主張をする学者の成田悠輔の著作『22世紀の民主主義』も読んだんですが、あちらは自身の研究結果がデータで随所で示されていたので、正直主張はイカレてる感じでしたが、不思議と納得感があり、実現できそうな気もしてくるもので、頭の体操のような感じで楽しく読めました。
また本書でも数か所で引用されるデヴィッド・グレーヴァーも、『ブルシット・ジョブ』では自身のフィールド・ワーク的な研究活動により採取されたデータを扱って論が展開されていたので、かなりの納得感がありました。
著者自身の研究はおそらく4章の晩年のマルクスの部分になろうかと思うのですが、結局それも、マルクスが書いた手紙などを解読しているだけで、マルクスの文章は自己陶酔的で読みづらくはあるものの古代語で書いてあるわけでもないので、これを研究かぁ……うーん、となってしまいます。
もうちょっと「脱成長コミュニズム」を実現するための社会実験やそのデータなどを、拾い集めてきた他人のデータだけではなく、著者自身の研究活動で実践して欲しかったな、と思います。そもそもマルクス自体が机上の空論感があるので、リアルな研究実績があれば、大本のマルクスの主張自体の信憑性も上がると思います。
ちなみにいろいろ良い部分もあって、本書の後半で、デトロイトやバルセロナなど「脱成長コミュニズムの萌芽」とされる民衆の活動が紹介されていた点は、正直「修正資本主義の範疇でいいんじゃない?」とも思いつつも、脱成長コミュニズムが目指す社会が具体的にどういったものなのかが示されている例として面白かったです。
また、序盤のグリーン・ニューディール政策への批判も捨て置けないですね。
あんなものはしょせん、新しい商品を売るために欧米が新たなルールを強いてきているだけという、昔から繰り返されているルーティーンでしかなく、商業・消費活動における環境破壊の根本的解決にはなりえない。ただまあ、以前の環境よりも、少しだけでも良くなるのであれば、現状はそれでいいんじゃないかとも思います。
しかし、全体を通すと、マルクスへの偏愛と強引な論理構成、そして自身のリアルな研究活動があまり見られないことから、「脱成長コミュニズム」は机上の空論であり、現状ベターで実現可能な方向性は「修正資本主義」なのかな、という印象を持ちました。
同時に「脱成長論者が、そもそも脱成長的なライフスタイルをしていないじゃん」という揶揄が存在するのも、なんとなくわかってしまった感があります。
私はアーミッシュみたいな生活してみたいんですけどねぇ……。
もちろん、ブログやSNSなどという電力を消費してCO2を排出する行為は行わず、です。

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