「自分だけのタイムライン」が流れる世界

その昔、ホームページってのがありました。ホームページ・ビルダーのようなツールを使って自作し、AKIRA’S ROOM、みたいな名前をつけてね。んでそこに日記ページなんかも併設しまして、まさに日記のようなものをつらつら記して一般公開していたわけです。掲示板(BBS)なんてのもあって、そこで他者と交流をしていました。

ただそれにはHTMLやらFTPやらの知識が必要で。ってそれ自体は大したことじゃなく、ちょっと調べりゃわかることなんですが、しかしそれすら出来ない人、面倒に感じる人が多かった。
そこで、そういった知識がない人でもウェブ上で文章や画像をカンタンに公開できるサービス、ブログが登場したという次第。

しかし、面倒なWebの知識が不要とは言え、長い文章を書くには文章力が必要だし、見る側にもそれを読み解く力が必要です。今度はそれすら出来ない人、面倒に感じる人が徐々に増えていきました。
そこに今度は「マイクロブログ」ことTwitterが出現してきた。
ここではSNSの機能が強調され、徐々に文章を発信する・読んで楽しむコンテンツから、他人との接触を愉しむためのSNS的なツールへと変貌していき、今のSNSが席巻するインターネット空間が現出しました(つまりBBSやブログのコメント欄部分の機能が勝ち残った)。

そして、ブログやホームページは廃れました。

自分の書いた文章作品を他人に読んでもらうためには、元々は印刷や出版という行程を通す必要がありました。
これにはコストがかかるので、選ばれし者のみがその壇上に上がることを許されていました。
インターネットは、その敷居を取っ払ったわけです。
さらに敷居を排除する方向に進むインターネットは、ホームページ→日記サービス→ブログ→マイクロブログ→SNSと、ひたすら参入障壁を下げていき、壇上の演者と客席の聴衆、といった境を無くしてしまいました。
今では誰でも気軽に文章を他人に見せることが出来る時代になった。
めでたしめでたし。

しかしこの時代、果たして楽しい時代なんだろうか、とふと思うわけです。
参入障壁を下げ続け「情報発信の自由化」とも言える環境が出現したものの、その結果、旧TwitterことエックソことXでは、たった100文字超の短文すら読解することが出来ず、クソリプと煽り合いのレスバを繰り広げる、反知性主義ならぬ「脱・知性主義者」が大量発生しています。動画サイトでは目立ちたがり屋の素人が騒いでいるだけの中身の無い動画、wikiに書いてあるレベルのくだらない解説動画、つまらないテレビ番組の切り抜き、などが大量に出回るようになりました。インターネットはいつのまにか、ゴールデンタイムの雛壇芸人がガチャガチャ騒ぐ中身の無いバラエティ番組と同質の、はたまた新宿・渋谷・池袋の駅前雑踏のおしゃべりのような、人がたくさんいるだけの騒がしく不快な空間へと変質してしまったのではないだろうか。知的なコンテンツ、良い意味で刺激的なコンテンツ、アンダーグラウンドな界隈は消失、もしくは発見しづらくなり、下品で俗悪で低劣な空騒ぎで埋め尽くされるようになってはいないだろうか。
広告も目を覆いたくなるような下劣なものばかりが出てくるしね(「40代男性」という属性が相当ひどいものばかりに食いついているのでしょう)、もううんざりですよ。

このような変質の理由はおそらく、今まではテレビの世界と地域のネットワークに解き放たれていた脱・知性主義的(言い換えれば「教養が無く文化レベルが低い」)な「一般人」たちが、コロナ禍でリアルからネットへとSNSを介して大量に流入してきた結果ではないか、と睨んでいます。

これはもはや、資本主義がマーケット的最適解を選び続けて到達した「野蛮」の世界。

私はもうちょっとなんというかムリ。
なので、まずはSNS断ちをすることにしました。
発信することはもちろんのこと、「見る専」も極力やらない。
ニュースサイトなんかも見ない。

理想はこのブログのように、オープンではあるものの誰にも見られていない、という点においては極めてクローズドな空間、情報の流入が抑制された「自分だけのタイムライン」が流れる世界で、リアルワールドとしっかり対峙しながら、個人をしっかりと立たせて、私のタイムラインを、真面目に生きていく。といったことを試してみたい。

インターネットからのasylum。
上手くいくのでしょうか。
いくといいなと思います。

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