現代を生きるデザイナー必見の著書ということで、前職在職中に読んだ本。
物理的な商品を作る「職人としてのデザイナー」から羽ばたいて、設計という思考方法を活かし、体験や組織の仕組み、ワークフロー、広告手法など、プランナーやプロデューサーみたいな領域にまでデザイナーが進出していくのがこれからの時代のデザイナーだ、それがデザイン思考者だ、という感じの内容。「一人でコツコツ作るクリエイター」のようなイメージではなく、「会社でいろいろな業種の人とコラボレーションしながら商品やサービスを設計していく」、という感じ。
「プロトタイプ」を何度も何度も作って最終的なアウトプットをブラッシュアップしていく、という手法が、PDCAやアジャイル開発といった考え方にも似ていて、価値観の移り変わりや多様化が激しく、どこにサービスや商品のニーズが潜んでいるかつかみにくい時代にはシックリくるとも思う。
著者の成功事例については「プロジェクトX」的な内容で面白く読めたし、これが出来れば日本企業からも色々革新的なビジネスが生まれるんじゃないかと期待感も生まれた。
でも残念ながら、最後まで読んで芽生えたのは、「これは日本ではムリでしょ」という諦念と、「デザイナー辞めよう」という絶望だった。
『デザイン思考』が日本企業ではムリだと思う理由
ビジネス書なんてそもそもが、「これを読んだからと言って次の日からすぐに実現できるわけではない」なんて当然かもしれない。でも、デザイン思考に関しては、あまりにも日本での再現性が低すぎるように思えてならない。
というのも、これは「世界中から有能な人材が集まってくるシリコンバレーの有名企業の精鋭たちだからできるのでは」という、シリコンバレー特有の条件を前提にしている疑いが強く、これがそのまま、有象無象・玉石混交、さらに日本語しか読めない・話せない日本人ばっかりがいる日本企業でそのまま出来るとは思えないからだ。そしてさらに悪いことに、この洋モノの輸入事業は「ザビエルもいないのに日本人だけで江戸時代にキリスト教を布教する」のごとくで、聖書を読みながら想像で「こんな感じ?」という風に独自解釈の我流で、布教や儀式をやることになる。つまり、欧米と日本、まったく「前提」となっている社会状況や価値観が違うのに、懸け橋となるものが「聖書(日本人が翻訳)」のみという状況。特に新卒一括採用・年功序列・終身雇用という、欧米がとっくに止めているガラパゴスな雇用・就業形態がいまだ主流であり、なおかつ階級社会的な上下関係が強固な日本企業では、なおのこと困難である。
これまで、こういったシリコンバレー系聖書に触発された意識高い系の人たちが、鼻息も荒く「前提」を無視して表層だけ会社に取り入れようとする姿を見てきた。結果他の社員の反発にあい頓挫、すると意識高い系連中は「アイツら意識が低い、使えない」と周りを見下すようになり、組織に分断が生まれ誰も得をせず終了。日本におけるシリコンバレー教の布教活動は、そんな顛末をたどることがほとんどだ。
特に本書で最も難易度が高いのは、「デザイン思考を非デザイナーのマネジメント層に分からせる」という布教活動だ。こんなの、「デザイナーってお高く留まっていて鼻につく」と思っている美術コンプレックスを抱えた人や、「デザインなんか外注して安くすましときゃいいだろ」とデザインのビジネス的価値をそもそも理解していない人、あるいは「経営層にデザイナーだと? なに? 俺のイスを奪おうってのか? デザイナー風情が生意気だぞ」みたいなヒエラルキー上位の既得権益者の大反発にあうこと必至である。そもそも本書の著者ですら、これは難しいと書いている(つまりアメリカの企業ですらムリな場合があるということ)。
日本でデザイン思考が上手くいくとしたら、「①BtoCのビジネスを展開しており、②優秀な人材が集まり、③クリエイター主導で事業全体またはプロジェクトをまわしている、④若手中心のフラットな組織構成の超人気スタートアップ企業」みたいなごくごく限定的な条件のみではないだろうか。
デザイン思考は国も導入を呼び掛けているようだけど、正直これに手を付ける前に他にやることがあるだろう、と強く思う。まず終身雇用制の破壊。アメリカと同じことをやるなら、社会の前提もアメリカと同じにする必要がある。雇用条件も同じ、就業条件も同じ、職場にいろんな人種がいるという民族構成も同じ。さらにそこに行き着くまでの学校の教育。ここまでやって始めて、真似をする前提が整うというものだ。日本はそもそもあらゆることが欧米と違い過ぎて、欧米の価値観や思考を安易に移入しようとすると、既存の日本的価値観や思考と衝突して、バグが起こる。なのに、いつも小手先の表層的な部分だけ欧米の真似をし、おかしな状況(往々にして分断)を生み出してばかりだ。そういう愚かなことを繰り返すのが、民間企業の社員のみならず、省庁の官僚や与野党の政治家レベルにも多く存在しており、いち迷える労働者としては、一瞬の冷笑のあと、深い谷底にいるかのように暗澹たる気持ちになる。
この本を読んで、自分はデザイナー人生は辞めようと思った
以下は自分の話になるのだが、僕は新卒時に精神不調と就職氷河期が重なりキャリア迷子となったものの、当時黎明期だったWEB業界に未経験にもかかわらずポロっと非正規雇用で拾ってもらい、その後はその場その場必要に応じて技術を習得し、お世辞にもレベルが高いとは言えないながらコーディングとデザイン両方できる正社員のWEBデザイナーとなった。ならせていただいた。かなり運が良かったと思う。
しかし、バナーやLPなどをデザインするグラフィック職人としてのWEBデザイナーは、あと何年も食いつなげるものでもないと思う。ネット広告やSNSなどで、キャリアに悩んだらWEBデザイナー、みたいなふざけた情報商材のネタにされるような体たらくだ。あんなのもまさにふざけているとしか思えないのに、そういう広告がたくさんあるということは、騙される人が多いということ。ニーズが増えずに職業人口だけ増えれば給料も下がっていく(海外進出が鈍く人口減少が進む日本経済では既定路線)。当然の絶望である。
なので、WEBデザイナーがキャリアアップを目指すなら、「デザイン思考」を使って、UI、UX、コミュニケーション(広告の顧客接点など)などの非物理領域の上位デザイン職へ進むのが現時点では最良である。
僕もこの本を読んで、さらなるキャリアアップを……といきたいところだった。しかし残念ながら、僕はここで書かれているような仕事に、興味を持てなかった。正確には、興味が無いことに極めて具体的に気付かされたのだった。
まあハッキリ言ってこの辺は、人生のハンドルを手放してしまい自動運転のように周りに流されるままになっていた自分を責めるのみだ。
デザイナーという人気職に一応就いていて、贅沢な話ではあるけれども、私はそんなにデザイン自体に憧れも興味もあったわけではなく、一般職会社員のように、職場で必要とされたから勉強して習得しただけ、に過ぎなかった。でも、周りは憧れて心底この仕事が好きでやってる人が多い。限界が来ていたわけです。そこでこの本を読んで、自分の欲求に気付いてしまった。
WEB業界は移り変わりのサイクルが早いので、どんな仕事もすぐ陳腐化して古くなる。新しい技術を仕込んでも、それが流行ると思ったのにまったく流行らなかった、みたいなことも良くある話だ。気づいたら全く別の仕事をしているということもある。
自分はもっとそうではなく、じっくり同じ技術をひたすらやりこんで磨きぬいていく、いわゆる職人のような、古いタイプの職業人生を望んでいたのだった。
なので、周りの意識とプライドの高いデザイナー人材連に鼻息荒くキャリアアップをけしかけられるたびに、どんどん嫌気がさしていった。仕事の内容がコロコロと変わるたびに不安な気持ちになり、適応障害を発症した。
自分には、デザイナーも、正社員も、キャリアアップで高収入うんぬんかんぬんも、過ぎた話。
もうちょっと自分の目の前を、リアリズムの目で見つめて、自分に合った「車」を選んで、ハンドルをしっかり握り、どんな曲道もタイヤのグリップが効くスピードで、堅実に走っていきたい。そう思い至って、今は自分がWEB業界に拾ってもらった原点、コーディングを中心とした仕事で非正規ながら楽しくやっている次第。悪戦苦闘中だが、デザイン方向ではなくプログラム方向に業務範囲を広げていくことを企んでいる。別に人生においてたくさんの収入が必要でないのであれば、必ずしもキャリアアップをする必要などないのだ(このことは以前も書いた)。
この本は、もっと生粋のデザイナー人材が読むべきだ。ぜひ読んで欲しい。そして、ザビエル的な外国人宣教師不在のまま、天照大神や釈迦如来が心の中にいる江戸時代の町人たちにキリスト教を手探りで布教するかのごときの難事業を、ぜひ頑張ってもらいたいと思う。
「こんなの日本人に出来るわけねーだろwww」みたいな冷笑をキメたような文章になったかもしれないが、本心としては、デザイン思考を行う企業が増えたほうがいいと思っているし、なんなら一緒に雇用環境もアメリカのようになって欲しいと思うので。

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