アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』(2022年作品)

読書感想文

 私たち現代人は娯楽漬けの廃人になっているんじゃなかろうか?
 最近、そんな問題意識がどういうわけか頭から離れない。
 労働をして肉体疲労と精神的ストレスを溜め込む。それを解消するためにバカみたいなものに金(ソシャゲ課金とか)と時間(ひたすらYouTubeやXを閲覧とか)をかける。その方法は十人十色で、ギャンブルや酒といった古典的な遊戯をはじめとして、着ることもない洋服を次々に買い込む、ラーメンなどのジャンクフードを制限なく食いまくる、大量のCDやグッズを家に積み上げたり旅費を湯水の如く投じて全てのライブについて回ったりする過剰な推し活、借金してまでホストや頂き女子に貢ぐなどなど、往々にして人々の労働力再生産方法は割と自己破壊的だ。単に休養したり運動したりという健全な発散方法なら良いのにそうならないのは、それでも拭えぬくらい、またはその気力すら起こらないくらい、激しいストレスに晒され消耗しているからか、その効能が本能的・刺激的であるからか。いずれにせよ、私たちは労働のストレスにより、労働で得た対価を疲労回復のために全て支払ってしまいがちだ。労働ストレスが増せば増すほど我々の労働力再生産への意欲が高まり、同時に自己破壊的な娯楽への依存度も高まる。そしてそこにも回る経済がある。なんという搾取の有り様か。左様なら。……と簡単にブロック出来れば良いのだが、たいした学歴もなければ市場価値の高いスキルもない人間は搾取構造に絡め取られるしかない。これが悲惨な現実である。

 手取りも増えず、高ストレスの労働に圧迫され、現実を忘却するため娯楽に中毒するしかない、自分を破壊しながら脳内麻薬に涎を垂らす人々。それが現代人であり、もはやディストピアSFのような世界に成り果ててしまっている。通勤電車、虚ろな表情でショート動画をエンドレスに眺めている人たちを見ると、よりその想いを強くする。そんな世相に呼応するように、昨今、デジタルデトックスとか、ドーパミン断ちとか、そんなワードをちらほら目にするようになった。ただいま述べたようなディストピアは、皮肉屋な私の悲観的な印象なんかではなく、実際に脳内麻薬中毒のようなものがひそかに社会問題化しているのではないか。観察者を気取る私も、娯楽についてはかつて享楽的に追求していた過去があり、家には物が溢れ、にも関わらず何か面白いことねえかな、最近つまんねえな、とひとりごちることもあり、他人事ではないのではないか。そんなことが気になってちょっと検索してみたら出てきたのが本書である。リアルディストピアことアメリカ合衆国における現代の依存症問題に対する癒しの話。

精神(こころ) にも作用するホメオスタシス

 『ドーパミン中毒』はアメリカの精神科医アンナ・レンブケ氏による著で、氏のもとに訪れた患者の話を軸に論が進んでいく。本書は「自動オナニーマシーン」を自作するなど自慰に極度依存して人生が破綻しかかっていた男性のスパイシーなエピソードを掴みとして始まる。日本のオタク界隈ではこの人は病人ではなくむしろ天才だともてはやされそうなくらいユーモラスなエピソードなのだが、この男性含め徐々に深刻なエピソードが語られていき、アルコールやマリファナ、コカイン、ヘロインなどのドラッグはもとより、アメリカで昨今問題になっているフェンタニルなどのオピオイド中毒の事例もたびたび紹介される。胃のバイパス手術の悪影響でアル中になったり、ADHDを抑える薬で感情の一部を失ったり、などの話もあり、なんというディストピアSF世界か、という印象である。まあ日本も質の悪い娯楽に耽りながら同調圧力による相互監視で辛気臭い『1984』的社会を形成しているので人のことは言えないけれど。それはさておき、いかにもハードな精神科ノンフィクションという感じの印象を強くする本書であるが、趣旨はそこにはなく、どちらかといえば一般向けで、レンブケ氏自らの「過激恋愛小説依存症」(日本だとエロラノベやレディコミが該当しそう)などの日常のなかで陥りやすい依存症の構造を明らかにして、予防や治療のために何が必要か、それをハードな依存症患者のエピソードから解説する、という組み立てとなっている。

 印象に残った点はいくつもあるが、特になるほどと思ったのが、頭の中のシーソーの話、つまり人間に備わったホメオスタシスである。ホメオスタシスは体のバランスを一定に保とうとする働きのこと。温泉やサウナ好きにはよく知られる用語で、水風呂から出ると体がポカポカする現象がそれである。山梨県はこのホメオスタシスを伝統的によく理解している土地柄で、ほとんどの温泉で冷温交互浴が出来るようになっており、自分もよく無限交互浴で体調を整えたりする。なので、ホメオスタシスの働きはよく分かっていたつもりだったが、これが精神にも作用するものとは知らなかった。つまり、ドーパミンが出るような快楽行動ばかりしていると、体というか精神、つまり脳はバランスを取るため不安や不満の反応を示すということだ。ホメオスタシスのシーソーは片側に偏ることをよしとせず、水平であろうとする。しかし人間の精神は悪いことに、不安や苦痛を感じるとそれを帳消しにしようとしてさらに快楽行動を求めてしまう。しかもその不安や苦痛は外部から与えられた物ではなく、自らの快楽行動から生み出された自家中毒的なものである。ここに負のスパイラルが出現し、依存症に陥るわけだ。

 このホメオスタシスの仕組みを踏まえて、私たちはどう生活すればよいか。すなわち温泉と同じように考えれば良い。お湯に入り続けてものぼせるし、水風呂に入り続けても唇が紫色になり凍えるので、交互浴するのが人間の体にとってはよろしいということである。酒やジャンクフード、スマホやゲームなど、ドーパミンを誘引する快楽行動も、節度を持てば薬になる。時には麻薬すらも。そして何より、快楽に寄りすぎると不安や苦痛に傾くというなら、水風呂に入るが如く、逆に自ら不安や苦痛に浸かりシーソーを逆側に傾けてやればよい。テスト勉強明けの日が晴れ晴れとした気持ちになるように、終わりの見える程よい苦痛はシーソーを快楽側に傾ける働きがあるということである。
 よく大きな不安は小さな不安を消し飛ばすというが、現代人の抱える不安や苦悩は、自然界で起こる理不尽な死への怯えから解放されたがゆえの現象ともいえる。そもそも人間の内臓の機能は人間が高度に社会化する前、野生だった時に形作られたもので、現代社会には適応していない。しかし、今ではその仕組みが解明されている。ならば、人為的に不安や苦痛を調整して疑似自然的環境を作ってやればよい。トラウマになるほど嫌なことをし続ける必要はないと思うけれど、水風呂に入る程度の嫌なことなら耐えられる。それくらいの軽微な危険や嫌なことにあえて挑む。これが健全な命というものだ。もしかしたらドMの人はずっとやっていたことなのかもしれないが。

結局コジコジ最強説

 本の後半では、依存症にならないための処方箋として、「正直に生きること」と「恥を受け入れること」という生き方が提示される。これはつまり、自分のダメなところも誤魔化さず受け入れ、それを隠さず人にさらけ出せるということである。現実から逃げている自分、ダメなことに中毒をしている自分、を認められれば、ドーパミン的行動に歯止めがかけられるし、なによりその2つが良好で健全な人間関係を構築するからだ。
 ここで思ったのが、結局これは、さくらももこの『コジコジ』ではないか、と。つまり、何か失敗をして誰かに説教されても「コジコジはコジコジだよ」の精神、誰かに「バーカバーカ」とこき下ろされても「そうだよよく知っているね、きみは物知りだね」と言える。そんなふうに他人の主張をやんわりと受け止め、さらに自分を貶めずにいられる人間は、何かに依存などしないだろう。そしてその誠実さは周りに伝染していく。人間関係が良好であれば苦痛や不安を分かち合えるし、なにより幸福感や自己肯定感が高まる。ジャンクなドーパミンコンテンツを必要としなくなる。

 しかしこのことに一抹の不安がよぎるというのは、正直さと同時に嘘も周りに伝染する、という話だ。嘘をつく親に育てられた子供は、心理的な安全性が担保されず、不確かな未来という前提で短期的志向になってしまうらしい。それでも個人なら影響力は少ないが、翻って、日本というコミュニティのトップ、すなわち政治家や官僚が嘘や不誠実な理論を平然と放っていることは、民衆にどのような心の傷を刻み付けているのだろうかと思う。総裁選の時に「総理になったらやりたいこと」の文脈で語っていたことを、いざ総理になったらやるとは言ってないと誤魔化した時の総理、「暫定」という言葉を「永久」という意味で使う税金。ほぼ同じ幹部議員で結成されているにも関わらず「名前を変えて新たに作った政党なので、我々に過去のことを持ち出すのは見当違い」と論陣を張る最大野党議員。隠れて不倫などの不誠実な行為に及ぶのも当然有権者を欺く行為だ。心理的安全性が担保されないと人は短期的な視点しか持たない弱肉強食サバイバル思考になる、とのことだが、果たして、今の日本国民の心理はどのようになっているだろうか?

空しい娯楽中毒人間になりたくない

 依存症の危険はどこにも潜んでおり、読書や音楽好きとしては依存症みたいに作品を消費するようにはなりたくないと思うものである。とにかく気になった本をAmazonでポチりまくり、届いては読まずに積み上げて満足、しばらく立つとなんでその時その本を読みたいと思ったのかわからなくなっていたりする。とにかく消費しなくては、と読んだらすぐに次の本に移り、余韻に浸ることも、本の内容を自分なりに咀嚼することもない。浴びるように摂取し続け、そのうち1作品から得られる感動も薄まっていく。映画や音楽、アニメや漫画でも同様の中毒現象が見て取れる。こんなふうになりたくないので、誰が読むとも知れないブログでもいいので、自分の考えをまとめておきたい、作品から得たもの、感じたことを。
 自分がホームページを再開した理由と、自分もハマりがちなカジュアルなドーパミン中毒への注意喚起、さらには自己肯定感や幸福感の得られやすい生活、日本人が憧れがちなアメリカのダークサイド、そういったことを学べる良書だった。

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