坂口安吾『花妖』(1947年作品)

 東京新聞に連載された安吾初の新聞小説にして、安吾作品によくある未完長編。
 家族と別居し、終戦後も防空壕に住み続け皮肉とニヒリズムの果てに浪漫を夢見る自称「ミイラ」の弁護士・木村修一。許嫁に裏切られ、妹にも裏切られ当てにしていた父親にも裏切られ復讐の妖と化した修一の娘・雪子。雪子からのアプローチで雪子を「オメカケ」にした、修一の学友にして顧問弁護士契約を結ぶ会社専務の凡庸な男・英彦。「ミイラ」に惚れた雪子の友人で、自由奔放の色っぽい女・芳枝。修一の妻の姉の息子で、雪子と許嫁であったがその妹節子とくっついた挙句、芳枝に浮気をする傲慢で暴力的でその癖小物なクソ野郎・洋之助。といった連中がねじくれてぶつかり合って、どこに向かうともなく進んでいく人間模様を、心理状態を掬い取りながら描く作品である。娯楽的な引きが求められる新聞小説において先の展開を期待させるワクワクが無いという欠点がありながらも、その人間たちの刹那の思考や行動が理屈ではなく非合理的かつ不条理に蠢いていくのが面白く、引き込まれていく。命を賭して遊ぶ、奔放に生きる、という安吾の人生観がにじみ出ているし、人間の本質ってガリ勉インテリが考えているほど合理的ではないんだよなあと読みながら考える。
 後半、女性を口説くことをゲームのように楽しむナンパ野郎・栗原が登場し、雪子相手に幇間的な長台詞をペラペラやり出すあたりから後の『火』などでも感じられた冗長さが表れだすが、そんな矢先に唐突に打ち切りエンドとなる。岡本太郎の抽象画風の挿絵が問題になって打ち切られたと後書きにあるが、安吾の他の未完長編と同様に、始め面白いのだが徐々に会話が冗長になっていき登場人物が安吾の制御を離れ収拾がつかなくなる、といった傾向が見て取れ、仮に挿絵を差し替えたとしても打ち切られたのではないかと思わしめる終盤である。しかし、修一、雪子、芳枝は安吾作品でたびたび登場するおなじみの人物像であり、ヒネクレた修一の心変わり、雪子の破滅と歓喜の表裏一体な勝負師の生き様、芳枝と修一の妻との掛け合い、といった興味深い場面とともに、この3名の行き着く先がどこになるのか、見届けられなかったのは残念である。

 蛇足的な感想になるが、この時代の女性のセリフまわしが好きすぎる。この作品に限らず、また安吾作品特有のものでもないのだが、「~~なのよ」「よくってよ」「~~なのだわ」みたいな口調である。これはこの時代の女性の話し方(もしくは映画や演劇で流行したセリフ回し)で、つまりは70~80年代には中高年女性のものになっていた可能性があるが、後に漫画やアニメに引き継がれて「お嬢様」や「ロリババア」キャラのしゃべり方として固定化されているのが面白い。最近の漫画やアニメでも、リアルな女性のしゃべり方(「まじか」「~~すぎん?」「~~じゃね?」のような中性化しているもの)を反映した作品があるいっぽうで、昔の女性のしゃべり方である「~~かしらね」「~~だわ」のような口調になっている作品もいまだにあるが、これは作者がリアルな女性のしゃべり方をあまり認知しておらず、「演劇口調」として固定化された昔の女性の口調を深く考えずに使っていることがその所以であろうか、と考えたりしつつも、その源流が昭和にあるのは興味深いことである。

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