上野英信『出ニッポン記』(1977年作品)

読書感想文

 昨今、20代くらいの若手世代の就活は売り手市場で楽勝、一部の企業では初任給も爆上げ、といったことが起こっていると聞く。一方で我々世代はというと、仕事がなかなか見つからないのはもはや20代の時と変わらずな伝統芸で、見つかったとしてもいまだに残るブラック企業や低賃金、運よく正規雇用を勝ち取った人たちも、たくさんいるバブル世代が管理職のイスを順番待ちしておりいつまでたっても昇格・昇給できず、価値観の異なる上と下の世代に挟まれてストレス爆増、子育ても大変、そんな状況で恨み節しか出てこない有り様だが、そもそもこれは特定の労働市場に過剰な人口が流入した結果なのでは? もっと分散する必要があるのでは? それは国内だけではなく、国外という手もあるのでは? と浅はかながらも考え、「移民」というものに興味が出て、先日アップした寺尾紗穂著『日本人が移民だったころ』を手に取った次第だ。しかしこちらの書はやや自分の期待とは異なる内容で、いっぽうそこで引用されていた本書『出ニッポン記』のほうに興味が出て、矢継ぎ早にAMAZONで注文。読み始めてすぐその内容に引き込まれ、通勤中、旅行中、入浴中、就寝前、時を問わず読みふけって読破した。

“棄民”政策としての移民

 本書は、自身も炭鉱労働者としての経歴を持つルポライター・上野英信による、南米に渡った元・炭鉱労働者の移民の生活を追った渾身のルポルタージュである。
 炭鉱労働者というのは昨今ではすっかり馴染みが無くなり、元炭鉱の観光施設で当時の状況を伝える人形などが設置されているのを見かける程度であるが、あんなものでは当時の過酷さは全く再現できていないということが、この本を読むとよく分かる。
 土地を持たない貧民、朝鮮人、犯罪者など、出自はどうあれ食うや食わずの生活をしていた人たちが炭鉱労働に使役され、体の一部を失うような大事故にあうなど命がけの仕事をしていたが、結局石炭から石油にエネルギー革命が起こり、余剰人員となった炭鉱労働者は、そのまま南米の未開拓地に棄てられた。炭鉱労働者は当時、今風に言えば“民度が低い”的な理由で蔑視されており、また労働争議で世の中を騒がせていたことから、失業者として国内に留め置きたくない、という考えが当時の政府にあったようだ。
 そんな苦難の炭鉱労働者たちを南米まで追いかけて、南米でさらなる苦難に直面しながらも、生き生きと根気強く生活しているようすを、情熱的な文章でつづっていくのが本書のおおまかな内容だ。以下断片的となるが、それぞれトピックに分けて感想を書いてみたい。

世界中の国々の“国策”として進められた移民

 現在日本にいる移民の方々がどのようにやってきたのか、お恥ずかしながら私は知らない。いっぽうで我々日本人や他の先進国の国民が“移民”となる場合、自分の意志で勝手に外国に行っている。ゆえに、なんとなく移民全般そんなようなものなのだろうと思っていたのだが、この本を読むと、送り出す側の日本、受け入れ側のブラジルなど中南米の国がお互い国策として移民政策を進めており、地方自治体の役人や企業の働きかけで移民が募集され、当の移民となる側も、家族・親戚一同総出で(これは移民になる条件に家族の人数や年齢などの条件があったからだが)、しかも同じ船で複数の家族とともに集団移民という形で南米に渡航していたとのことだ。現地にも日本の移民斡旋業者や組合の役人などがいて、同じ船に乗ってきた人々が同じ開拓村で生活し、様々な問題がありながらも、管理や世話をしてくれるという、大掛かりな仕組みの中で移民事業が行われていたのであった。
 移民というのは自分の意志で独力で勝手に行くものだと思っていたので、このような国家プロジェクトであるとは思っておらず、驚いた。

 日本がなぜ移民を奨励したかというと、先ほど書いたように、国内の貧困や失業者問題があったからだ。農業をやる土地もない一方、仕事のクチも満足に無かった未だ発展途上中の1960年前後日本で、炭鉱業界の急激な縮小と、炭鉱の仕事そのものの過酷さに追い込まれていた当時の炭鉱労働者に対して、当時の国や役人は、「南国はバラ色である」かのような詐欺的な広告を打ち、移民希望者を募った。「耕した土地は自分のものになる」など墾田永年私財法のような甘言も弄していたようだが、実際は地主に使われる小作労働で、アマゾンの未開拓地は日本以上に危険で作物の育たない不毛な大自然だった。いつの時代も国の言うことは信用ならない。私の子供の頃は、大学進学からホワイトカラーで人生安泰、という道にやたらと誘導していたが、その結果どうなったかは御覧の通りで、今もやたらとNISAに国民を誘導しているが、どうなることか。まったくムナクソな話だが、それでも炭鉱労働者の方々は「炭鉱の仕事よりはここのほうがマシだ」と語る人もちらほら出てくるため、その境遇を思うと泣けてくる。
 小泉純一郎政権以降の日本は、国内でダブついた労働人口を移民として海外に日本人を送り出すことはせず、国内にとどめおき低賃金で使い倒す、という政策を始めた。海外に移住したいのなら、今は自己責任で、自分の力でいくしかない。そして海外にも、もはやそう簡単に未開拓地があるような場所は見つからない。先進国で生活し、しかし単独で移住を決行できるような何かしらの秀でた能力を持たない私のような人間が移民を考えるならば、昔の南米よりももっと過酷で危険な後進国で、肉体労働に励む生活を想像をしなければならないのだろうが、そもそもの話、そんなところまで行くゼニもない。ここに至って、ようやく「国内に就職口が無いなら海外に行けばいいじゃない」などという浅はかな考えは引き出しの中にしまい込む必要がある、と察した次第である。残念。

70年代のブラジル旅行記

 さて、自分でも全く考えるのも嫌になるような氷河期にまつわるしょうもない不平不満が一段落したところで、改めて本作の内容に触れると、著者の上野英信自身も炭鉱出身ということあってか、南米への渡航・滞在費用を私費でポンと捻出できるほどの資金力も無く、借りられるところから資金をかき集めてなんとか費用を工面、突貫で南米行きを決めたようだ。それゆえ、著者の視点が上から目線の裕福なリベラルエリートのライターという感じではなく、炭鉱労働者やブラジルの庶民とまったく同じ目線で綴られている感じがあり、その臨場感に共感できる。
 筆者は現地で購入した車でブラジル全土を駆け巡るのだが、都市部のリオデジャネイロやサンパウロはあまり出てこず、代わりに波状大地のうねるマット・グロッソ州やアマゾン川流域地域、はたまた日本ではあまり知られていない地方都市、そんな場所で暮らす現地の人々の他愛のない一幕や日本人移民の苦しいながらも力強い生活が描かれており、このあたりは70年代ブラジルの旅行記のような側面で、食生活、ブラジルの風景、風土が生き生きと描写されて鮮烈だ。特にブラジルコーヒーの現地での飲まれ方はコーヒー好きとしては興味津々で、日本ではコーヒー豆の“ブラジル”はクセがなくあっさりとした飲み口として宣伝されるが、ブラジルではアツアツ・真っ黒・激甘にするのが乙で、これがブラジルの民衆は大好きなようだ(現在はどうなのか分からないが)。サイフォンだとアツアツにはなるが真っ黒にはならないし、ネルドリップだとその逆だし、日本だと同じものが飲める喫茶店はなかなかなさそうだ。
 ちなみにこの時代のブラジルというと、すでにジャズやボサノヴァなどの音楽や、サッカーなどで世界的にも存在感のあった時期だと思うが、この本ではそんな一面はまったく出てこず、ひたすらブラジルの“田舎”の暮らしがつづられている。もちろん、日本語での“田舎”という言葉のイメージほど牧歌的ではなく、暮らすのも大変そうではあるが。いずれにせよ、貴重な記録である。

プロレタリア文学の世界との通底

 本書は『日本人が移民だったころ』とは異なり、炭鉱労働者だった著者が、南米移民となって十数年たった炭鉱離職者を追ったルポであるため、必然、炭鉱時代の話や、有名な三池闘争などの労働組合の激しい労働争議の記述も出てくるし、南米に開拓民・小作農として奮闘する人々の苦しい生活も泥臭く描いている。このあたりは、時代こそ違えど、小林多喜二が『蟹工船』や『不在地主』で描いた世界と非常にシンクロしており、さながら「実録プロレタリア文学」である。
 この本が発表された時代的に、日本は高度経済成長で都市部が急速に発展し、生活環境が日に日に改善し新しい電化製品が次々に登場、給与も土地の値段もうなぎのぼりでマネーに目がくらんでいる人が多かったと思うが、いっぽうで祖国を捨ててブラジルに渡った炭鉱離職者たちは、資本が野蛮さを極めていた戦前の昭和不況時代の貧困層と同じような生活をしているのだ。
 一方で三池闘争は、まさに小林多喜二が作中で呼びかけていた労働争議が最も過激な形で現れてしまった事件であり、これが現代の「労働組合」の悪いイメージ及び労組の弱体化・軟弱化の遠因となっている気がしないでもない。けっきょく共産党員だった小林多喜二が労働争議を描いているところからも、労働組合の源流には共産党などラディカルレフトの党派性・思想性が色濃く存在していたことが分かるが、三池闘争も当時の共産党を始めとした左翼活動家が絡んで焚きつけて暴走・過激化した、という顛末で、一般人(ノンポリ層)がドン引きしたのは今も昔も変わらず、これによって労組はもとより、炭鉱労働者全体への悪いイメージまでついてしまったという点(移民先のブラジルでさえも、「厄介な人たちが来る」と嫌がられてしまっていた)において、色々な不幸を引き起こしてしまった事件なのだと感じた。日本の労働組合は要求がおとなしすぎる一方、労働ストのデモをいざやるとなると、関係ない極左的主張の横断幕やシュプレヒコールをやり始めるのはなんとかならんものなのか、と常日頃から思っているのだが、こういった経緯を踏まえると難しいものである。

客に対しては礼儀正しいが、仲間に対しては意地が悪い、その日本人の気質はどこからくるのか?

 ブラジル移民同士の諍いがあったことが、この本ではたびたび語られる。特に、「元農民」と「元炭鉱労働者」、「先発の移民」と「後発の移民」の対立である。やっぱりか、という印象だ。
 「海外に行くと、一番意地悪なのが日本人である」という言説は稀に見聞きするし、この本にも似たような証言が出てくるが、納得するものがある。
 自分も1カ月だけロンドンに語学留学したことがあるが、韓国人や中国人なんかは、まあ当時の韓国・中国で海外留学するような人たちは育ちがいいというのもあるのだろうが、同じ東アジア人ということで、日本人も含めて仲間意識というか、フレンドリーに話しかけてくれて、すぐにコミュニティが形成されていた。日本人も、みんながみんなそうというわけではないけれど、日本人だけで固まったり(内心はマウントを取り合っていたり)、白人にばかりにすり寄ったりといった様子が見て取れた。他人を“仲間”かどうか、というより、“上か下か”でしか見ていない感じだ。これはすごく残念に思った。
 山がちの島国で、小集落が地形によって分断されており、さらにその中で狭い土地を分け合いながら長い年月を暮らしてきた日本人が、そこに儒教的な価値観もあいまって、そのような性質が特徴として表れてしまったのだと私は認識しているのだが、どうだろうか。どの民族にも、自然環境や歴史によって「生物的な学習」を続けた結果、良い面と悪い面が立ち現れるものだと思うが、それをどれだけ多くの人が認識して、悪い面を反省しつつ良い面を強調できるか、ではなかろうか。
 日本人はあまり「コミュニティ」を重視していないように思う。他人を「いかに仲間であるか」ではなく、「いかに他者であるか」で見ているというか。地方移住した人が、いつまでたっても「よそ者」扱いされ続けるのもその好例である。同じ空間を共有している人たちは「仲間」でいいじゃないかと思うのだが、そうは感じない人が多いようだ。これだけ人口過密な島国で、なぜ人が「孤独」に陥るのか。人としゃべりたいがために病院に集まっているお年寄りたちを見ていると、日本に何が足りないのかは一目瞭然じゃないかと思う。この本に、「西洋人は移民先でまず教会やコミュニティを作ろうとする、日本人は学校や新聞を作ろうとする」という記述が出てくるが、やっぱりちょっと、妙な話である。

やはり庶民の話が読みたい

 本書は、物語の主人公にはなりえない、炭鉱で働いていた庶民の一人一人に分け隔てなくスポットライトを当てていく貴重なノンフィクションである。これは勝小吉『夢酔独言』の記事でも同じことを書いたが、歴史に残るのは常に偉人や英雄や芸術家や人気者であり、その時代時代に生きた庶民に光が当たることはない。文学が生まれてからも、その多くはインテリ階級のコミュニティが反映されており、頭が特別いいわけでもなく仕事で特別有能というわけでもないその他大勢の庶民は記録から無視される傾向にある。戦国時代に生きた農民や村人の話などほとんど残っておらず、武将やその周りの家来たちの話しか残っていないのがその典型である。でも、私が読みたいのはむしろそういう書である。「本」となって残るのはたいてい、学があって位も高い人が描いた世界だ。金原ひとみが描いた「語彙力に乏しい陽キャのZ世代の女子高生を主人公に描いた小説」がまさにそういった、活字媒体の中に存在しているインテリ世界へのアンチ的な記録で面白かったが、上から目線で「弱い」人たちを描いたものではなく当事者たちと同じ目線で記録したこの作品も、庶民の活力が満ち溢れていて素晴らしい。
 庶民のストーリーの断片は、現代ではいろいろなところで読むことが出来るが、そのほとんどは、断片であるがゆえに時代を越えられず、消えてしまうだろう。残るのはその時の社会支配層たるインテリが選んだインテリ的価値の高いものだけだ。だから、私たちは私たちが共感できる大切なものを、ずっと語りついていかなければいけない。大衆文化は儚いものだ。
 国や社会というのはこんな冷酷なことをするものだと、そしてそのために苦しい思いをしながらも、力強く粘り強く生活していた人たちがいたのだ、ということを知ることが出来るこの本も、ずっと語り継いでいくべきあると思う。

コメント