ミニマリストが精神と時の部屋のような何もない白い空間に住みたがるのは、本人が“思考の多動性”に悩んでおり、その治療のためではないかという仮説に、最近思い至った。
私は、検査などはしていないのだが、おそらくADHDやASDなどの属性を抱えており、白くて何もない部屋には憧れがある(私の場合、緑色が好きなので白い部屋より緑色の部屋の方が良い)。
なぜかというと、“情報”に非常に過敏かつ依存症的なのと、思考の暴走(飛躍的な一人連想ゲーム)、思考のループ(不快に感じた場面を繰り返し脳内上映する)が止まらず制御できないからだ。この性質のせいで、人間関係や物事を何度もしくじったし、またはやりたいことを諦めたし、無駄な時間も過ごした。
昨年末にXを書くのも見るのも辞めた。Yahooトップもちらっと大事件が起こっていないかだけチェックするのみ。ネガティブな情報が多すぎて、頭と心がゴミ溜めのようになるからだ。摂取した不穏な兆しを材料に、延々と頭の中で他人と架空のレスバが止まらない。永遠に続く粘着質な脳内反省会。不安や不満が蓄積して、昼頃にはすっかり脳が疲弊しきって、思考停止・全身倦怠感などに襲われて軽く睡眠を取らないとどうしようもなくなる。ゆえに今はYouTubeで料理動画などを見ているだけだが、それでもまだ不愉快なオススメ動画や広告が出るたびにストレスをためている。アルゴリズムの銃口が恐ろしい。
私が一番苦手なのは「みんなが好むこと」である。流行りのサービス、売れ線のポップソング、大声や大きな音を出すコミカルなCM、電車内に貼られた安易に人の顔を配置した広告、ありがちなアニメやドラマ、ゆっくり解説動画、有名な観光地、量産型ファッション。すべてに本能的ないら立ちや不快感を覚え、なぜそのような状況が発生しているのか、怒り混じりの無謀な脳内分析・評論・論破が始まってしまう。こんなズレた感性を持った私なので、会社で“売り上げのために何か企画を考えろ”と言われるのが一番つらい。自分の思いつくことは誰も好まないことであり、自分が社会的にも倫理的にもよろしくないと不快に感じるものこそが「みんなが好むこと」なのだ。それはおかしいと声を上げれば、邪教徒のような扱いだ。集中力は無くなり、神経症的になってくる。黙るしかない。するといよいよ脳内思考が暴走する。
だから私は大きな企業で働けないし、役職にも就けない。一生平社員の低賃金プレイヤーだが、職人のようなコツコツした作業をひたすら磨き上げることに生きがいを感じているので、それでも良いと思っている。それしか自分が幸せになる道はないとまで言える。にもかかわらず、世の中は今、それを「好ましくない」と断定し、AIなどでそういった仕事を駆逐しようとさえしているのだ。まったく、息苦しい世の中である。
とまあこんな調子で「不穏と不安の連想ゲーム」のお時間がやってくるのだ。ここを断ちたい。もっと脳内静かに、心穏やかに過ごしたい。
つまり、自分のような人間の“治療”に必要なのが、いわゆる“ミニマリズム”であったり、もっといえば“メタ認知”や“マインドフルネス”、“断捨離”なのである。ミニマリストの白い部屋はさながらサナトリウムの診療室だ。決して、“キラキラ系意識高いビジネスパーソン”がお好みの、人生が好転するビジネス・イニシエーションなどではない。彼らは圧倒的に“一般人”的なので、その必要はないはずだ。
そして、世の中で嘲笑されている真っ白部屋に住む過剰なミニマリストを見る目も、「この人もきっと自分と同じ悩みを抱えて、つらい人生を歩んでここに辿り着いたのだろう」といった同情的なものに変わるのだ。


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