
てっきり昔読んだ本だと思っていたのだが、何を勘違いしたものか、初読であった。坂口安吾の妻・坂口三千代による、安吾との出会いから死別までの生活をつづった自伝的エッセイ。
題名が軽いエッセイものの雰囲気を醸し出しているので油断していたのだが、突如ハードコアな展開になる箇所がいくつもあって驚いた(ちなみにクラクラは仏語で野雀、転じてありふれた少女の意味で、安吾の死後、三千代さんが経営していた文壇バーの店名、だそうだが、おそらく日本語のオノマトペの意味もかけられている)。安吾の無茶苦茶な行動や言動が、現代ではきわめて不適切であるし、当時でもそこそこに不適切だったのではないかと思われるレベルのエピソードが盛りだくさんなので、ディープ昭和に慣れていない人は要注意である。私は既に昭和のドギツいコンテンツを摂取し過ぎている身体なので、驚いた程度であとはだいぶ引き込まれて興味深く読んだ次第だが、現代の一般人レビューを見ると不快感を感じる人も多いらしく、私はむしろそちらのほうに自分と世間の感覚との距離感を感じ、少しぞっとするものを感じたりした。
それはさておき、本作で一番印象に残るのは、安吾作品から抜け出てきたような三千代さんのキャラクターである。それは男遊びをする女性、という意味ではなく、世の中の常識や倫理観、因習などに繋がれていない、ある種のノー・フューチャーな浮遊感(過去や未来よりも今、目の前に起こっていることを重視している感じ)を持ったキャラクターということだ。
無頼派の文学者と関係した女性たちのキャラクターは、現代ではバンドマンを彼氏にする女性に似ている。不安定な夢追い人を支える甲斐甲斐しさやロマンティシズムと同時に、未来に対する無秩序さも同居しているというか、世間一般的な“家庭”といったものを考慮しておらず、一緒に死のうと言われたら受け入れてしまう、破滅型のタイプというか。
つまり、元バンドマンにして無頼派文学好きの自分も、三千代さんのキャラクターは好意的に感じるし、実際妻も似たようなタイプだ。遠い未来のことを心配するよりも目の前の遊びが好きで、でもいろいろなことに気が散って不安になったり、と思ったら何かに夢中になったり、何もないときはぼんやりしていたり、大事なことを忘れてしまったり、すぐ眠ってしまったりする。さすがに、安吾と一緒に暮らすために前夫の子供を手放したり、ヤク中の安吾を介抱するために自分もヤクに手を出したりといった無茶はしないと思うし、私も安吾ほど凶悪なことはしていないと思うが、実際は相応の心労はかけているのかもしれない。
そんな三千代さんの文体が、また妙にのんびりしていて魅力的である。決して上手い文章ではないのだが、目の前で無茶苦茶なことが起こっているのにも関わらず、淡々と素朴な口調でお話している感じで、それもまた、三千代さん自身もやっぱり、安吾とは別の方向にぶっ飛んでいることを示している。
出会いの頃を描いている序盤は、その文体も相まってほほえましいエッセイなのだが、安吾の薬物中毒(当時は睡眠薬や覚せい剤が合法、というより戦後の混乱期で規制が追い付いていなかったせいで、市販されている状況)が始まって以降はかなり陰鬱だ。安吾が自分の世界に籠城して人の意見を聞こうとしない面倒くさい昭和のオヤジというのは想像道理だからいいとしても、オーバードーズ、禁断症状の果てに、衣服を脱ぎ棄てて周りの人を威嚇したり暴言を吐いたりする発狂した安吾の姿は、ファンとしても非常にしんどいものがある。しかし、最終的に心中という展開になり、陰鬱な緊張感が極まったところで、すっと拍子抜けするような笑えるオチを持ってくるのはまた驚いた。この辺は、うまく組み立てているというより、本当になんの構成案も無く素朴にそのまま起こった出来事、思ったことを書き記している天然的な作為の無さで、この素朴な文体から突然ジェットコースターのように天と地を行ったり来たりする感じが本作の魅力で、「えぇ…(困惑)」というネットミームをリアルでつぶやきながら読み進めていた。特に、安吾が飼い犬のマヌケさに腹を立てて川に放り投げたくだりは、ど、動物虐待…!とヒヤヒヤさせられつつ、その犬もやはり飼い主に似るのか、川に投げ入れられたのがきっかけで水が好きになり、散歩の旅に川に突入していくようになって一層手が付けられなくなる、というまさかの展開で、じわじわと笑いがこみあげてきてツボにはまってしまった。(ここも特に笑い話といったノリで描いていないのが、またより可笑しみを感じさせる)
伊東や桐生に移り住んでからは、当時の街の雰囲気がうかがえる描写が多く、両方の街によく旅行に行く自分としては興味深い。が、やはり行く先々で安吾は騒動や事件を起こして同じ場所にいられなくなってしまう。結局死の直前まで断ち切ることが出来なかった睡眠薬中毒による発狂がトリガーであることが多いが、突然カレーを100人前もってこい!と言い出して、近所の蕎麦屋が喜んで請け負ってくれたため、本当に安吾含めその場にいた十人足らずの人間でカレー100人前分を食べることになった「ライスカレー100人前事件」は唯一笑えるエピソードである。
三千代さんが安吾の死後見続けているという夢のくだりは、あとがきで松本清張も書いているが、幻想的で味わい深く、本作の核となっている。安吾との生活自体が、夢と現実の区別のつかないもので、特に本作には悪夢的な出来事が多く描かれていて、三千代さんは安吾に責められてばかりいるのに、夢の中に現れる安吾に対して「口に出してはいわないが何故私のもとに戻ってくれないのかと責めていたりする」という三千代さんの愛情が、切なくてほろ苦い。きっと描かれていない良夢もたくさんあったのだろう(あとがきで善いところを書けないでごめんねと書かれているが)。
“日記”などにはまったくおさまらない、濃厚な“人の生”が詰まった小説作品ともいえるエッセイだった。

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