小川洋子『揚羽蝶が壊れる時』(1989年作品)

 学生時代はとにかく本を読んだ。国文学生だったからでもあるが、止むに止まれぬ思いを抱えて読書していたように思う。端的に言えば精神不調。人との関係性をうまく構築出来ないことに悩みを抱え(同じ学生に声をかけることすらままならない)、「行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした」のだと思う。

 小川洋子は、ある嘱託教師の授業で知った。『ドミトリィ』を読んでハマり、初期作はほとんど読んだ。当時はマイナー作家だったので、その後まさか『博士の愛した数式』でヒットするとは思わなかった。小川洋子作品には、精神や肉体になんらかの欠落や奇形が生じ、世界とうまくリンクできなくなった人物たちが住んでいて、ひっそりとした静かな空間から、そのいつくしむような、もどかしいような欠損と、世界との間でおこる軋みを、極めて冷静に眺めている感がある。精神不調を抱えていた当時の自分にとっては心の休まる場所であり、リアリティでもあった。

 最近、いわゆる漫画・アニメ・ゲームといった日本のポップカルチャーに倦み、自身の精神の不調も再燃したため、小川洋子の諸作品を、20年近く経った今、何かを探すような気持ちで読み返している。

 その中で再読したデビュー作。

 あらためて本作を読んでみると、後の作品とは違い、かなり読みにくい作品という印象だ。内容もほとんど忘れてしまっていた。話の筋は、主人公の女性が老人ホームに母親代わりだった祖母を預けて、喪失感に戸惑いながら、同時に恋人の子供を妊娠し、さらに恋人の浮気の疑惑も浮上して、心がじわじわと不安定になっていく、というもの。しかし、その一文一文は極めて不穏な比喩で描かれており、ダークな散文詩のようにも感じる。それはそれでハッとするような表現も多いので、その散文詩的イメージの世界に深くコネクトし、お気に入りのフレーズをかみしめるように堪能することも可能なのだが、ゆえに、気を取られて話の大筋を失念してしまい、あれっ、今これは何の場面何だっけ? これは夢? 妄想? リアル? どれだっけ……? と迷子になってしまうことがしばしばだった。

 しかし、小川洋子作品は話の筋よりも、病的で残酷な比喩表現による殺し文句そのものが魅力である。例えば今作の、妊娠という現象を「あなたの体液の一滴が、わたしの中で繁殖し続けている」という、このぞくっとするような、壊れた表現。後の作品では、歪んでいて残酷でそしてグロテスクな殺し文句が1割。残り9割はその効果を最大限発揮させるべく静かで潔癖で平熱な世界を紡ぐことに徹する、というバランスになっているので、ある意味で本作は小川洋子のエッセンスがぎゅうぎゅうに詰めこまれた贅沢な作品なのかもしれない。

 これは20年前に読んだときはまだ理解できてなかっただろうな。(だから内容を忘れたのだろう)
 ほかの純文学にも言えるが、人生経験の浅い20前後の大学生に、全部理解して読め、というのは無理な話である。

 話の筋を理解したうえで、壊れた比喩表現とのアンサンブルを、何回も読んで愉しむのがよかろうと思う。
 読みにくいけど、濃厚な作品。

コメント