安吾の作品には失敗作も少なからず存在しているが、この作品は、物語の途中で突如語り手が登場し話を端折る場面があったりすることから、まさに失敗作なのだろう。しかし、失敗作=つまらない作品、というわけではない。「戦後のドサクサ」とはよく言われるが、どのようにドサクサであったのか、実はよく分からなかったりする。この作品を読むと、当時のドサクサが織りなす狂騒がファンキーに描かれており、とても痛快である。
話のスジは、非常に適当なノリで、勢いだけでグレーな商売を始める連中の人情劇。食材・酒の仕入れや従業員雇用をグレーにやりくりするボッタクリ居酒屋や、怪しげな投資話を持ち掛ける詐欺師、新興宗教まがいの闇市占いなどなど。プライドの高い哲学者のダメ男・最上清人は、やけっぱちでいろいろな商いで成り上がりを目指すも、周りの者に出し抜かれことごとく失敗する。安吾お得意の幇間オヤジ(こいつがしゃべり過ぎで、冒頭も述べた通り安吾が話を端折りに作中に登場しないと収拾がつかなくなる始末)も登場し、語り口軽快な娯楽作である。
これを令和のいま、何もドサクサができる余地が残されていない、切り詰められ行き詰り切った時代に読んでいると、このいい加減な世風と、戦後生き残った者たちの生命力が、とても眩しく映る。
戦後日本は、国土と共に旧支配者や利権までも一定程度焼き払われたので自由に商売ができた、という説を聞いたことがあるが、このドサクサぶりが虚構でなく真実に近いのなら、まさにそうだなぁ、と思う。
一番面白いのは第二章の、居酒屋の従業員として、新興宗教の施設に預けられたいわく付きの人間を雇うくだり。雇う方も雇われる方もデタラメばかりで凄いんだが、股間に蜘蛛の入れ墨を入れた悲劇の女が大立ち回りする場面は、いろいろ刺激の強い漫画や映画を見てきた僕も、想像だにしなかった最低の展開に、笑いをこらえることが出来なかった。
敗戦後、焦土と化した国土で呆然としていた国民を、安吾の作品のパワーがどれだけ民衆を励ましたことだろうか。目の前に分厚い壁があるような令和の今でも、この「良き昭和のパワー」は有効だろう。人間のひとりひとりを表面的なしぐさから心の底まで生々しく見つめる安吾の視点は、オタクカルチャーやテレビ番組のせいでポップかつキャッチーに記号化されがちな昨今、あらためて人間愛を呼び起こす。だから僕は安吾が好きなんだな。安吾作品は「暗い」と言われることがあるのだけど、正直一度も「暗い」と感じたことが無い。とにかく必死に、ぐしゃぐしゃに、生きてやる、という意思。
哲学者の最上に対し、幇間オヤジ倉田が言う
「まかり間違えば自殺するからすむという、その心得ほど貧困極まる古代的思想はないです。人間はいつも生きていなきゃア。生きる、是が非でも生きる、生きるということが分からなきゃア、第一人間の理想てえものが分かるはずがないではないですか。生きるからには愉快に生きなければならん、よって工夫が行われる、文明開化の正体はそれだけのものなんだけど、そこんところが、どうして先生に分からねえのかなァ。」
このセリフは、何かチャレンジしようとして尻込みをした際に「まあ失敗して行き詰ったり恥辱を与えられたりしたら、縊れてしまえばいいわけだし」と自殺を担保に無敵感を奮い立たす最上みたいな僕にとっては、素晴らしきポジティブ・メッセージ。同時に普段の心構えを反省した次第。
もっといろんな人に読んで欲しいと思える作品だ。
当時の喋り言葉(今の80歳くらいの世代の口調)がリアルに反映されているため、「言っちゃダメな言葉」も多用されており中々万人におおっぴらにオススメできるものではないのだけど。


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