
毎年夏になると出てくる反戦コンテンツ。繰り返し繰り返し「戦争のひどさ」を伝えてくる。良い加減うんざりである。戦争を知らない子供たちに見せるのはいい。戦争を起こさず平和を愛する大人になってほしい。しかし、こちらはもう「ひどさ」は分かっていて、知りたいのは「なぜ戦争が起こるのか」と、「戦争を無くすことが出来るのか」である。良い大人が「戦争はひどい」で立ち止まり、「ひどいからやめろ!」しか言えないのはあまりに情けない。実際今でも戦争は起こっている。起こったものを「やめろ」と言うのももちろん大切だが、そもそも起こる前に止めたいのだ。そのためには、「なぜ戦争が起こるのか」を知る必要がある。
ある日突然、「社會部部長」なるYouTubeチャンネルがオススメで表示されてきた。陰謀論やデマを垂れ流す怪しげな政治系チャンネルが増えていた時期だったので、素性の知れないこのチャンネルを最初は警戒しながら見ていたのだが、主張はデータや学術論文にもとづく論理的なもので、納得感がある。なにより人間をいち生物として観察し、地理や天候をベースに世界情勢を考察する内容は、私のものの考え方(生き物好きなので、人間を生物として考えることが多い)と近かったし、私の知りたかった「なぜ戦争が起きるのか」に迫る内容も多く、いつしか興味津々で動画を見るようになった。
本書はそんな教養系(?)YouTuber社會部部長の出した本である。「YouTuber本」は往々にして、ブロガー本などと同じく、たいていが本業のコンテンツの味を薄めたようなものになり、買って損をすることが多いが、動画で紹介されている本書の概要を見る限り、むしろ動画よりも内容が濃そうである。そもそもこの人はYouTuberが本業ではなく、何かしらの専門家が匿名でYouTubeをやっているのではないか?と思われたこともあり、これはぜひ買って読んでみたいと思った。
なお「地政学」については、政治ウォッチしている人なら必ず見たことがある言葉だと思う。割とネット右翼に親和性の高い人物、またはネット右翼そのものがこの言葉を使っていることが多く、その逆のネット左翼はナチスが利用していた歴史からか地政学のことをトンデモ学問扱いして冷笑している場面も見受けられ、興味はあったが近寄りがたいジャンルであった。本書はその入門編ともいえる内容になっている。ちなみに動画ふくめ、社會部部長の言説にはネット右翼的なところはほぼなく、むしろネット右翼にとって都合の悪そうなことも主張されており、極めてニュートラルだ。本書で解説される地政学は世界史に近いようなスケールで、国家間の戦争に至る力学を考察しており、すぐ沖縄の米軍基地や中国の野望に焦点を当て、日本の安全保障強化や核武装とかチャイナバッシングとかそういった方向へ結論を持っていきがちな「ネトウヨ地政学」とは根本的に扱われ方が違うので、政治イデオロギー的なものに近寄りたくない人にもおすすめの本である。
安全保障のジレンマ
「なぜ戦争は起きるのか?」の問いに、本書はまずシンプルに、「犯罪を取り締まる警察のように、戦争を取り締まる権力が存在しないこと」を挙げる。それゆえ好戦的な国は周囲の制止を無視して暴発するしその上誰も止められず、ゆえにその周辺の国家は自己防衛力を高めることで戦争に巻き込まれるリスクを回避する、といった現象が起こるわけである。そして本来平和の為に行われる「防衛力の強化」が、実は周りの国から見ると今の中国のように「軍拡して侵略戦争の準備をしている」ように見えてしまうという一面もあるという。そのことに危機感を覚えた周辺国が「お前らが増やしてるからこっちも増やすんだ」という理屈でさらに防衛力を強化、国家同士が軍拡オークション状態になり、お互い配備する軍事兵器が強力になればなるほど民衆が恐怖を煽られ、軍事衝突のリスクが高まっていく。安全保障を目的としていたはずなのに、なぜか戦争が近づいてしまうという「安全保障のジレンマ」である。
しかし一方で、そもそも他国を侵略して領土拡張しようとする国がなぜ出てくるのか。そのような国がなければ、軍拡する必要もないはずだが、これも結局自己防衛、安全保障の発想だという。ロシアがNATOから国土をモスクワを守ろうと思ったら、今の領土を拡張して敵国を遠ざければ良い。日本のような海に囲まれている国は歴史上外国に攻められづらかったが、平野で隣国と地続きの国は領土の奪い合いの歴史である。領土を広げるのが平和である、との教訓が得られても仕方がない。ただただ私欲のために世界征服を企むゲームの魔王のような存在は現実におらず、戦争は常に自国民を敵から守るためにやっている、という体を取るわけだ。
安全保障には、自国の防衛力を高める以外に、同盟を組んで対抗する、という方法もある。軍隊の力を各国等しく保つことができれば、相打ちを前提で戦争を仕掛ける国はないのだから、戦争が起きにくい世界が実現できるのではないか。しかし国の規模はそれぞれ違うので、小さな国は同盟を組んで固まればよい。このようにして、大国に対抗してNATOのような連合を組むようになった。そしてこの状態を維持するために、近現代の各国は知恵を絞っているわけだ。
しかしながら、このバランスはよく崩れてしまう。経済的な理由だったり、宗教や民族紛争だったり、政治的な思惑だったり。地域的な紛争に他国が干渉した結果、周辺国を巻き込んで泥沼に陥ることもある。ウクライナとロシアの戦争も、ウクライナのNATO加入をロシアが阻止するため起こったことだ。ウクライナが中立的、もしくはロシア寄りであった方が世界情勢は安定するのだが、ウクライナの国民がそれを望まなかった。ここに緩衝国の問題があるという。
緩衝国の悲哀
戦争の歴史は主にユーラシア大陸の中心部に端を発しており、ユーラシア大陸を征服する覇権国家の台頭を防ぐ目的で行われてきたそうだ。第2次世界大戦ではドイツと日本が覇権を取るリスクがあると目されたわけである。現在ではロシアと中国が警戒され、パワーバランスを維持するため世界中が連携している。
覇権を伺うそのような国の周りには、「緩衝国」と呼ばれる国々がある。大きな反発しあう勢力同士が直接国境を接していると一触即発なので、緩衝材のようなかたちでロシアと西欧の間には東欧諸国があり、ここを中立とすることで平和(というか均衡)が保たれると考えられていた。同じように、ロシア・中国とアメリカの間には朝鮮半島や日本・台湾がある。
しかし、いずれの陣営においても、この緩衝国を中立のままにしておくことができず、どちらかの陣営に引き込もうとしてしまうのは人間の性である。さらに緩衝国自体も、ウクライナのようにどちらかの陣営に入りたがる。日本は第2次世界大戦後、ソ連・中国の防波堤としてアメリカの手厚い支援を受け経済成長し、完全にアメリカ側の緩衝国となり前線基地と化している。日本の高度経済成長の異常なスピードはアメリカの支援と無関係ではなく、故に、団塊の世代くらいのご老人が「俺たちが汗水垂らしてこの国をここまで豊かにしたんだ!」と自分たちの手柄のように威張るのはちょっと違うんじゃないかなと思ったりするが、まあそれは置いておくとして、ここで私は緩衝国として扱われている国の悲哀を思うのである。発展しすぎたり自己主張しすぎたり、どちらかの国に傾きすぎたりすると怖い国に叩かれるし、最悪ウクライナのような泥沼の事態になる。ゆえにどの国にも良い顔をする必要があり、狡猾な「話し合い」のスキルが求められるが、それをやっている政治家は自国の愛国者様から情けない売国奴と貶さる。常にロシア・中国の脅威を目の前に、自立した思考や決断ができず、周りの国の思惑の中で右に左にフラフラする。世界の安定のためにある緩衝国は常に不安定な状況だ。日本はこれまで表向きアメリカベッタリなようでいて、中国ともちゃんとやり取りし、経済的にもしっかり両国にとってメリットのある存在でいられたが、今後はどうなるか分からない。少なくとも、ネット右翼が勇ましくのたまうような「アメリカにも中国にも阿らない独立中立国を目指す」とか「中国が日本を占領しようとしている」という理屈は、この本を読む限りはあり得ないのではと思われる。
大国視点から見た世界
他にも本書では、アメリカ、中国、ロシアといった大国から世界はどう見えているのか、という視点も解説される。よく言われる「アメリカに抑えられた日本列島が、中国やロシアの航路を塞いでいる」という話があるが、巨大な3つの国にも、悩みや弱点がある。特にロシアと中国は、海岸線を有していながら両国がいかに陸に封じ込められ、海路を渇望しているのかがよく分かった。
また、ロシアと中国は、かつて周辺国に侵略されて領土を奪われたりした歴史も持つ。当時強力だった遊牧民が相当にこのユーラシア中央を荒らしまわって、両国の歴史に大きな影響を及ぼしたことも語られる。ふと考えると、中国が南京大虐殺を主張するのも、政治的な意味のみならず、本当に日本人がそういうことをしそうである、と疑い恐れている面もあるのではないか。日本でも外国の侵略に怯える者がいるが、海外にもそういう人がいるし、侵略された歴史がある分その思いは日本人よりさらに強いのではないか。一帯一路も単なる覇権への野望だけではなさそうだ。
戦争はなくせないが……
戦争が起きる理由は納得できたのだが、しかし、戦争を無くすことは難しそうだ。戦争の芽が出て、育ってきてしまったら、それを話し合いや交渉、取引でなんとか抑え込むしかない。防衛力を高めることは安全保障のジレンマのリスクがあるし、経済封鎖による兵糧攻めもロシアにはあまり利かないことが分かった現在では、よりいっそう話し合いの重要性を感じる。
もちろんSEALDsのような「酒を酌み交わせば仲良くなれる」といった万能感に満ち溢れた学生マインドの主張をするのは、相手が自分のことを深く疑っている、という前提がない幼稚な考え方であり、論外である。じゃあもう武器を持つのはやめよう、軍拡競争をやめよう、核兵器を廃絶しよう、みんな仲良く暮らそう、といっても、武器を捨てたのは自分だけで捨てた瞬間に他の奴らに蜂の巣にされる、みたいな想像を拭えないのが血塗られた人間の歴史である。話し合いだけで戦争を無くせるのか、については、現在の世界情勢がすでに話し合った結果を示しており、極めて難しいと言わざるを得ない。
しかし、ロシアとウクライナの現状は、ユーゴ空爆まで遡るNATOの外交失策が引き起こしたものである。本書でも語られるが、二度の世界大戦の後、いずれも厭戦的なムードがひろがり、もう戦争なんてやりたいと思う国はないだろう、戦争なんてもう起こらないから地政学も無意味だ、といった言説が広がったことがあったという。しかしその後も残念ながら戦争が起こっている。そのこのことを考えれば、話し合いで戦争をなくすことはできなくても、楽観視して話し合いをやめてしまうと戦争がさらに増えることは確実であり、全くの無駄ということではなさそうだ。
話し合いと言っても、実際それが出来るのは主に政治家や官僚である。しかし、民間レベルでも外国との文化的な交流で融和的なムードを作ることは可能だ。現にアメリカや日本、韓国は、エンタメコンテンツの輸出でイメージアップを図ってきた。アメリカなんかはエンタメの供給が無ければ、中国やロシアと同じように相当不愉快な国のはずである。結局、戦争に至るには、プロパガンダということもあるが、一定以上国民の支持がないと出来ないことだ。民衆の側が徹底的に戦争を嫌うこと、安易な「外国=敵」論にのっからないようにすること、大衆文化の交流により、異文化への理解を深めること、私たち弱き民草はこういう草の根的なことしか出来ないが、それがすべてであるようにも思う。
ネット世論では、なんでもかんでも白か黒か、ベストかワーストかの極論に持っていこうとするが、ベターでグレーなすっきりしない選択肢、地道にコツコツやるしかない、というのが現実には往々にして正解に近かったりすることを学ばされる。いかに自分を自制して、快楽的な極論主義にとらわれないかが問われている。
こういった本を今後も読み、多角的な視点で物事を考え、語れる人間になりたい。


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