
日本には、ことあるごとにアメリカの事例を持ち出してくる「アメリカ出羽守」が大勢いる。「アメリカ」を良い例として紹介したあとで「それに引き換え日本は……」と続き、アメリカの良い例を日本にも導入するべきだと主張してくる人たちだ。それでまあ本当に日本が良くなるのならいいのだが、この連中の多くはアメリカの事情に精通しているわけではなく、アメリカのごく一部の事例を拡大解釈していることが多いのが難点だ。たとえば「アメリカでは……」と言いつつ、頭に思い描いているのはカリフォルニアの裕福でリベラルな都市部のことだったり、「アメリカの企業では……」と来た場合には、シリコンバレーの有名IT企業や世界に名だたる金融系企業のことを想定していたりする。
実際に困るのは、この連中が職場で「シリコンバレー式の最新フレームワーク」とやらを強引に導入しようとする時だ。大抵、日本の会社組織では後述する理由でうまく機能しない。すると出羽守は「意識の低い奴らが多過ぎてうまくいかない」と自責せず周りを見下すようになり、一方でそのほかの人間は「自己満足で意味不明な儀式を導入しようとする、上から目線のめんどくさい奴」と出羽守に反発。さらにマネジメント層は出羽守のこうした行動を評価しがちであり(実際に問題を解決しているわけではないのだが“イノベーティブ”なことをやってる感だけは出るので)、出羽守に謎に権限が付与されたりして、ここに極めて厄介な部署内の対立構造が生み出されるのだ。
私はこれまでのIT系の現場でこう言ったことに何度も巻き込まれ、往々にして出羽守とアンチ出羽守の間に挟まって難渋する役目だったが、内心「シリコンバレー式のフレームワークなんぞ、日本の会社でうまく機能するわけないだろ」と思っていた。アメリカと日本では、労働者の性質や前提条件が違いすぎると思ったからだ。
そもそもなぜ、シリコンバレーのようなアメリカのグローバル企業の特殊な環境と、自分が働いているガラパゴスな日本企業を、同様のもののように扱ってしまうのだろうか。
全米はおろか世界中から我こそはという志の高い才能が集まってくる世界選抜軍団なようなシリコンバレーの超人企業。かたや、世界中はおろか日本中というわけでもなく「とにかく安定した職にありつけさえすればいい」と内心思いながら口では意識高そうに見せているだけの日本人しかいない凡人企業。シリコンバレーでうまくいくフレームワークというのはまずそこにいる人たちが意識が高く優秀である、というのが大前提だ。日本でも一部の優秀な人が集まってくる有名企業ならいざ知らず、そうでない多くの会社がシリコンバレーのフレームワークとやらを導入してうまく機能するわけがない。同様に、シリコンバレーのフレームワークを入れたからと言って凡人集団が超人集団に生まれ変わるわけもない。
疑問はもっと具体的にいろいろ出てくる。そもそもアメリカと日本では、雇用形態も評価方法も賃金も違う。アメリカでは多様な人種が働いていて、宗教もある。そもそも人口や国土、気候も違うし、民族的な性質もだいぶ違う。というか、世界から見れば日本もだいぶ特殊な環境の国なのである。こういった違いを無視して、上っ面の「フレームワーク」だけを取ってきて、「いいからやってみろ」と無理やり日本に移植してもうまくいくわけないじゃないか、と思うのだ。
そしてここが本書を読むきっかけの最も直接的な理由なのだが、まさに自分も直感的に「そう思う」というだけであり、渡米経験があるわけでもなく、本当はどうなのかよくわからんのである。それを具体的に知りたかった。アメリカにだって大・中・小いろんな企業があって、日本と同じように、うまくいってない会社もたくさんあるんじゃないか? 労働者の働きぶりはどうだろう? 命令に従順な労働者や怠惰な労働者だっているだろうし、賃金や失業者、格差の問題はどうなっているのか? アメリカのすべての会社がシリコンバレー式を取り入れているとも思えないし、アメリカが上手くいっているのは一部の超人企業が突出しているだけで、そのほかの企業は日本と同じようにジリ貧のドン詰まりだったりしないだろうか? そしてむしろそういった環境に置かれた人たちの苦闘を知る方が、自分の生きている社会層ではシリコンバレー式の何たらより有用なのではないか?
ほとんどの人は、この本は「トランプの支持者がどう言う人たちか知りたい」という理由で読むのだろうが、自分は、今述べたような、アメリカのシリコンバレー的なキラキラした世界以外の、日本からは見えにくいアメリカ社会のほんとのところが知りたかったのだ(結果的には似たような目的かもしれないが)。それを知ることで、日本にいる「アメリカ出羽守」に対抗しようという心算である。本書は、そんな企みにはうってつけの内容だった。
折しも、ゼレンスキーとチームトランプの「朝まで生テレビ」のような呆れる公開口論が行われたタイミングで、この時イキりまくっていた著者J・D・ヴァンスという若い副大統領の素性も気になったというこれ以上ないタイミングでもあった。
貧困層と富裕層の階層化と、著者の人間成長譚
もちろん本書の内容は、アメリカの労働市場や労働者の全貌を明らかにしたようなものではない。異色の経歴を持つ著者J・D・ヴァンスの自伝である。文化教養の水準が低く道徳も倫理もあやしい、復讐を良しとする人知主義のような価値観がある野蛮で貧しいアメリカの田舎コミュニティに生まれ育ち、人々のサポートを得ながら勉学に励み、心身を鍛えるため海兵隊に入り、その後満を辞して弁護士を目指し州立大学へ、そこからイェール大学のロースクールへ進学、毒親であった母親の呪いをも克服し、結婚して弁護士になり裕福な暮らしを得る、というアメリカンドリームのような話だ。その過程で、彼が目にした白人貧困層の悲惨な生活風景や、もう一方で後に辿り着いた富裕層の平和な暮らしぶり、さらに貧困層がなぜ固定化して抜け出せなくなるのか、富裕層はなにを「持って」おり、貧困層にはどんな対策が必要なのか、といったことを明らかにしており、このあたりが自分の知りたかったところの一端がうかがえるようになっている。なお邦訳はトランプの第1次政権発足後に出たこともあり、副題が「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」とトランプ政権をにおわせるものになっているが、英語の副題は「危機に瀕した家族と文化の回想録」であり、アメリカの白人貧困層の窮状を告発する内容ではなく、世界の貧困層全般に当てはめて読むことが出来るような内容である。
また同時に、「毒親に育てられた子供がいかに苦しみ、そしてその親の呪いをいかにして断ち切り、人間として成長するか」というJ・D・ヴァンス個人の成長譚にもなっている。この内面を描いた軸により、単なる「成功者の自慢本」や「異論含みの政治・社会本」ではない、普遍的な深みを作品にもたらしている。非常に面白く読めたし、いろいろなことを考えさせられた有意義な作品だった。以後、読みながら思ったことをつらつらと書いておきたい。
荒んだ貧困層=黒人、というリベラル派の偏見
まず、この本を読んでいる間ずっと悩まされ続けたのだが、白人貧困層の話であるはずなのに、頭の中ではついつい黒人の姿を思い描いてしまうのである。アメリカの本はもともと、登場人物の人種が示されないとき外見のイメージがしづらいのだが、特に祖父母に絡む話はとても白人世界の話とは思えない。アメリカのことは映画や小説、音楽、ニュースでしか知らない日本人にとっては、その情報がそのままアメリカと思いがちであるが、それらはリベラルな文化人・知識人からもたらされたものであることが多く、偏りがある。この無意識の偏見を矯正するのに本書は大変役に立った。裕福な黒人もいる時代だというのに、おかしな話である。
リベラル・ディストピア
良い家庭に生まれ良い教育を受けたインテリ、彼らの望む理想の世界がどういったものなのか、その一端が見えてくる場面も興味深く読んだ。日本でもイメージしやすいが、「大きな政府」による福祉政策は、常に労働者の財布が財源である。インテリが「かわいそうな人たち」と認定した人たちにお金をばらまき、救った気になってしたり顔をする。そんなヒーローごっこのために、労働者が貧困へ追いやられ、おまけに「かわいそうな人たち」も、手厚い福祉を受けた結果自立心を無くし怠惰になり、貧困が固定化していくというディストピアである。現在の著者がどうだかは分からないが、本書では、貧困に陥った人々が負のスパイラルから抜け出せるように、自分自身の力で貧困を抜け出していく向上心を持たせられるような政策が必要だ、と主張していて、これには甚だ同意である。理不尽な環境で生まれ育ち、努力は実らないという教訓を得てしまった人間は短期的思考で怠惰になり、酒やドラッグなどの依存症患者になりやすいというのは、最近読んだアンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』でも指摘されていたことだ。神様気取りのマクロ視点で五右衛門よろしくカネをばらまくだけでなく、ミクロの本質的事象にも1つ1つ根気よく向き合う草の根活動、そのバランスが、ヒルビリーのような貧困が固定化してしまった人たちを助ける手がかりになるのではないかと思う。
アメリカは広く、複雑で、さらに経済的な高低差のある、全体像を捉えづらい社会
アメリカのことをよく知らない自分のような日本人は、アメリカの州のことを都道府県くらいにしか考えていないが、実際は、規模や法律なども含めて1つ1つが国と同じである。場合によっては同じアメリカでも州によって全く別世界のような状態になっているようで、特に貧困な人々は自分の生まれ育った州から遠く離れた州へ行くこともままならないから、都会がどうなっているのかを知らない、という描写がたびたび登場する。そしてそれは逆の立場からも同じことが言え、アメリカの都市部、特にカリフォルニアのような西海岸や、有名大学が連なる(アイビーリーグ)ニューヨークを中心とした東海岸に住んでいるいい暮らしをしている人たちも、本書の舞台となるアパラチア山脈周辺の内陸部の世界のことはあまり見えていないらしい。こういったことから、同じ国内にいる国民同士でお互いの姿が死角に入って見えない、といった状況が生まれているようだ。
この本には著者の妻をはじめ、裕福な家庭で育った白人以外の人種が登場する。日本の帰国子女、のちに出羽守になったりする人たちも、裕福な家庭で育ち、大きな会社のあるアメリカの都会に住んでいたような人が多いだろうから、彼らが話す「アメリカでは……」を真に受けるのはやはり考えものである。
富裕層、上級国民、二世議員・タレント……彼らは何を持っているのか
富裕層が「持って」いるのは「社会関係資本」である、と著者は指摘する。極端な話、家族や友達に「会社経営者や政治家・官僚」ばかりだった場合と、「低賃金労働者や無職、アル中やならず者」ばかりだった場合とで、どちらが「人間関係」として価値があるかという話である。
富裕層がなぜ成功しやすいかは明白で、すでに特定の分野で成功した人たちや情報や知識を多く持った人たちの助言も聴けるし、サポートもしてもらえる。結局「成功」も水物ではあるので、挑戦する機会に恵まれている人、その経験が多い人のほうが、成功する確率が上がるものだ。そしてその「経験」というのは、親が子供に「買い与える」ことも可能だ。海外旅行や留学なんて言うのが最たるものだが、例えばビジネスで成功したい子供に対し、親が大金を渡して「失敗してもいいから、このお金を元手に一度事業をやってみなさい」といったことだってできる。課金で確率を上げるというのはソシャゲでも当たり前の光景だ。
著者がイェール大学のロースクールで目にした学友たちは、富裕層の子供たちであった。反面、著者が育ったオハイオ州のミドルタウンでは、そもそも大学を卒業する者も少なく、人生を良い方向に導く情報を持っている大人も周りにいないので、将来に希望も持てず、真面目に働かずに怠惰になり、アルコールやドラッグに溺れて、もめごとが尽きない、そんな環境だったという。著者はその中でも周りの人たちのサポートを受けアメリカンドリームをつかむことが出来たのだが、それはまさしく「運がよかった」のである。本人が尋常ならざる努力をする様子も描かれており、読んでいると運だけではないと思う一方で、その努力を発揮させる直接のきっかけは本人の周りにいる人たちからもたらされている様子が必ず描かれている。貧困層のすさんだ環境になると、この部分が欠落してしまうことが多いということだ。
ヒルビリーのヤンキー文化の良し悪し
本書に出てくるヒルビリー(田舎者)の人たち、特に著者の祖父母のような、リアルなヒルビリー世代の人たちの悪口や振る舞いは、どこか日本の田舎文化にも近いように思う。それはつまり「文化・教養より度胸や力強さ」「家族の絆への偏愛と執着」という価値観である。東京に出てくる若者が蛇蝎のごとく嫌う、田舎のマイルドヤンキー的価値観である。
彼らは「ファミリーを大事にする」といった表向きの言動とは裏腹に、家庭内の喧嘩や揉め事も多い。簡単に浮気や不倫をしたりする。その様子を見て育った子供もその価値観を受け継ぎ、ヤンキー文化の再生産をする。
一方でこの人たちは人間の本質をむき出しにして生活しているだけなので、ただの悪人というわけではなく、仲良くなると人情味があったり、人間的な魅力にあふれていたりする。たとえば有名な会社の正社員なら絶対にやらないようなトンチキな失敗談や、どうしてそんなことになるのかというおかしなもめごとに巻き込まれたり、人を笑わせることが出来る話を持っている人も割といるのだ。
自分はかつて大学卒業後、就職できずに地元の居酒屋でアルバイトをしていた期間があるが、この地元が全国有数の治安の悪い街で、居酒屋の目の前には地場ヤクザの事務所があったくらいだ。当然そこで働いている人も、「酒・女・ギャンブル」以外に興味の無い人たちが多い。自分のような、読書と洋楽が趣味の人間は異人種で、一度とある調理場の人に「お前さぁ、酒も女もギャンブルもやんないの? 何が楽しくて生きてるの?」と不思議そうな顔で言われたことがある。居酒屋の仕事は大変だったが、同時に酒を通じて色々な人との交流が広がった時期でもあり、楽しい記憶としても残っている。著者が語るヒルビリーへの愛憎も、自分は少し分かるような気がする。
まとめ
他にもキリスト教の話など書きたいことはたくさんあるが、長くなりすぎるのでまた別の機会に改めたい。
反トランプ的な人からすると、この本がトランプ大統領誕生の謎解きであり、現在そのトランプ政権の副大統領にまで上り詰めた著者の本ということで、嫌われることもあるだろうが、単純に貧困層、格差社会のリアルを知れる本として優秀だ。アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』で紹介される依存症患者のエピソードとも地続きの世界なので、誇張されているようにも感じない。日本で「出羽守」をやっている人にこそ読んで欲しい本である。
しかしこの「朝生」の模様を迅速に帯にする出版社の仕事が早すぎやしないか。自分にもこのような貪欲さがあれば、資本主義社会でもう少し良い思いが出来るのだが……。


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